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もくじ

ブログ引っ越ししました。
→こちらへどうぞ「アグロエコロジー」続編:
http://agro-ecology.blogspot.jp/


ヨーロッパの有機農業事情
地域で支える有機農業(CSA)(1)
地域で支える有機農業(CSA)(2)
オランダのケアファーム(福祉農園)
ヨーロッパの学校給食でオーガニックを
参加型有機農業認証制度
デンマークの有機農業
慣行農法が悪いわけではない
オランダの土壌修復プロジェクト
オランダのホビーブリーダー
オーガニックを超えるもの
オランダのオーガニックビレッジ
オーガニックグリーンハウス
オーガニックワイン
オランダの耕畜連携
社会に開かれた研究所
土壌保全型農業
フードデザート 食の砂漠
オランダ人のランドスケープ観
エコロジカルフットプリント
ドイツの育種企業
世界最大のオーガニック見本市Bio Fach 2010 (1)
世界最大のオーガニック見本市Bio Fach 2010 (2)
世界最大のオーガニック見本市Bio Fach 2010 (3)
世界最大のオーガニック見本市Bio Fach 2010 (4)


インドの有機農業事情
インドの有機農業
マイソール視察(1)
マイソール視察(2)
マイソール視察(3)
マイソール視察(4)
マイソール視察(5)オーガニックの学校Navdanya
インドの化学肥料工場
ココナツとアグロフォレストリー
インドの参加型育種と知的所有権
参加型流域管理システム
緑の革命から常緑革命へ
インドのエコビレッジ オーロビル(1)
インドのエコビレッジ オーロビル(2)
インドのエコビレッジ オーロビル(3)
インドのエコビレッジ オーロビル(4)
インドのエコビレッジ オーロビル(5)


ブータンの有機農業事情
ブータンの伝統医学
鶏の原種復活プロジェクト
ブータンのオーガニックファーム訪問
廃村の危機にあるMorong村の戦い
有機農業とGNH(Gross Natioal Happiness)
ヒマラヤのオーガニックビジネス

ブータンフィールドニュース
「Go Organic@Bhutan」第1号
「Go Organic@Bhutan」第2号
「Go Organic@Bhutan」第3号
「Go Organic@Bhutan」第4号

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ブログの終了にあたって

■記憶のカケラ

それに出会ったのはダラムサラだった。いや、もっと前に出会っていたのかも知れない。
でも、ダラムサラでの体験が強烈な記憶の断片をもたらしたのだった。

バンガロールでインターンしていたころ、偶然一つの写真を手に取る。
チベットの写真だった。
正確にはチベットかどうかわからない。ただ、チベット仏教の僧院だったのかもしれない。
なぜか妙に惹きつけられた。
「やっと、会えたね。」写真が語りかけているような気がした。


3ヶ月後、私はダラムサラに立っていた。
チベット亡命政府の建物は予想外につつましいものだった。
ダライラマ法王のパブリックスピーチの前日、寺へと向かった。

そこで見たものは、お経を唱える坊主たち。境内は袈裟の赤で埋まる。
初めて聞くチベット仏教のお経。
なんなんだ、これは。
声にならない叫びのように聞こえた。
気が付いたらなぜか泣いていた。なぜだか涙が止まらなかった。


その1ヵ月後、私は、ブータンのリンポチェが主導するプロジェクトで働くことになる。
もしも、運命というものがあるのなら、出会うべくして出会ったのかもしれない。

「カルマだね。」

カナダ人のプロジェクトコーディネーターで、リンポチェの弟子のカレンは言った。


■カレンの記憶



「私は前世の記憶を持って生まれてきたの。」

もう60すぎになるカレンは、自分の生い立ちを語ってくれた。


「母に寄ると、私は昔、鏡に映った自分の姿をみて叫んだんですって、私の髪の毛、どうして黒髪ではないの、白くなっちゃったわ、って。母は驚いて、カナダのチベット仏教の指導者、今の師匠に会わせたの。カナダに白人として生まれたのは、きっと師匠に会うため、そう、カルマだったのよ。」


「リンポチェの教室で夫と会った時、ずっと昔から知っている気がした。
夫はもう亡くなったけれど、今でも一番の親友だと思っているわ。」


カレンは、初めて会ったときから、何か変わった白人だと思っていたけど、本当に彼女の前世はチベット人なんだろうか・・・?

リンポチェは亡くなれば、同じころに生まれた者の中から転生者を探し当てることで選出される。
そんなことって本当に可能なんだろうか?

そして、自分がここにいるのも、もしかして遠い前世から決まっていたことなんだろうか?


■運命のイタズラ


「カルマ・・・。」

そこで、ハッとさせられるものに気づいた。

そもそも、オランダでオーガニックを学ぶきっかけになったのが、沖縄で会った占い師だった。
ネパールのチベット難民キャンプで占いを学んだという琉球人。

彼は言った。
「おまえは農業を学べ」
、と。

何だってこの人は私に農業なんて、、、


もしかすると、そのころからきっと始まっていたんだ。運命という名の連続。
一見バラバラにみえるような足取り。
それが自分の中でつながった時、カルマという言葉が木霊するのだった。

この川の流れはどこにつながるのだろうか。
雫はやがて大河となり、大海にでる。
一は全、全は一。

なるようになるさ。

川の流れに身を任せる水滴のように。
明日吹く風にまかせる。
明日は、明日の風が吹くから。



■旅の終焉


ブータンでのプロジェクトも一段落。
ついに、2年に及ぶ旅も終焉を迎え、帰国の途に就くことになる。

友人は言った、
「みけ、絶対戻ってきてね。何年たっても、みけが帰ってくのをずっと待ってる。」

Definately, if the heaven allows me.

ここで決めたこと。

天の道の完全なることを私は信じる。
もしも、ブータンに戻る縁があるならば、それに従うし、
もう今生で会えることがなければないで構わない。
たとえ明日死ぬとしても、どこかで別の命は生まれてくる。
そう、life cycleはどこかでつながっているのだから。
何も恐れることはない、とー。

I am happy to follow heaven's will.


Druk Airは2名のリンポチェを迎え、パロ渓谷を飛び立った。
ネパールの首都、カトマンズへ。

旅の終わり、そして、ここから新たな旅が始まるのだ。


Master of Organic Agriculture


ついに8月末付けで修士号を得、日本に帰国することになる。
ブログを始めた頃の目標は達成した。

ここで一旦、ブログ、アグロエコロジーを終了させてもらいたい。

また、新たな挑戦に出ることになれば、再開したいと思う。
今までブログを覗いてもらった方、どうもありがとうございました。

twitterではつぶやきを続けようと思うので、興味を持った方はどうぞ登録してください。
http://twitter.com/#!/agro_ecology

それでは、また逢う日まで。

9月10日 みけ

鶏の原種復活プロジェクト

鶏の赤ちゃんがうまれました。
思えば、テレビでは見たことあったけど、生で卵からヒナがかえるところをはじめてみた。
ブータンでは、鶏の原種を保存するプロジェクトが大学と研究機関の間で行われている。

naked neck 禿げた首




ブータンでは卵の生産に焦点をあてて品種改良されてきた鶏が今や主流となり、古来種の鶏が絶滅の危機にある。
Black neck、などの古来種は栄養価が高く、抵抗性が強いという。

ブムタンの家畜衛生研究センターはCNRとNBCとの共同プロジェクトとして、在来種復活作戦を開始した。
孵化機には4種類の卵が入っていた。
約60の卵から3日間かけてヒナが次々とかえる。
殻を破ってヒナが出てくる様子を見るのはまたとないチャンスで印象的だった。





black neckの純種はくちばしや足も真っ黒。いくつかはくちばしだけ茶色というのが混ざっており、全部真っ黒になるまで交雑が繰り返されるのだとか。

これらの古来種のメリットとしては、病気に強く栄養価が高いことを上げたが、もっとも重要なのは、個人の農家でも自家生産可能だということだ。
卵の生産に焦点をあてて改良された鶏は、遺伝子に組み込まれた母性本能を忘れてしまっているという。
卵をたくさん産めば、一度にお腹の下で温めることはできない。
改良された鶏は、卵を産んでもヒナを守ることがないので、熱が必要なヒナは温熱機に入れなければ死んでしまう。

古来種は卵の数が少ない分、母親はヒナを大切に守る。

農家は母親に任せておけばいいので、ヒナを育てる手間がかからない。
自給可能で病気に強く、栄養価の高い古来種を復活に今ブータンは取り組んでいる。


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ブータンのオーガニックファーム訪問

ブータンの農家はもともと有機農業が多いのだけど、自家消費用で高い農薬や化学肥料を使っていないというsubsistantな農家が多い。
有機野菜の販売戦略としてオーガニックを選択している農家はまだ少ない。
Tokokga Oranic Farmは、少量多品目の有機野菜を市場に卸している数少ない農家の一つ。
ティンプーからプナハ方面へ約1時間。以前は棚田であったという地に、数々の目新しい野菜や穀物が並んでいた。





週末のティンプーの中央ファーマーズマーケットは来客でにぎわっている。
金曜日に来て、土曜の夕方にはほとんど売り切れてしまうのだという。
「オーガニックは見た目が悪い、大きさが観光農産物に比べて小さい、と敬遠する消費者も多い。でもオーガニックを選ぶ人は知っている。味は有機農産物が格別においしいと。」
と、マネージャーのリンチェン・ドルジ氏は自信を持って言う。



▲きのこ栽培の解説をするリンチェン氏

ブータン国家有機農業プログラム(NOP)は2003年に農林業省内に設置され、2025年までに国全体をオーガニックにするという政策目標の下、さまざまなプログラムが実施されている。

NOPのツェワン・ナムゲル氏によると、
「国家有機農業基準が施行されたばかりで、有機認証は海外の団体に頼っている。これを国内のオーガニック検査員を育てることで、生産から認証までを自給できるようにすることが今後の目標。いずれは、コミュニティ内で品質の保証を行うPGSを導入したいと考えている」
とのこと。

環境保護、文化振興、観光政策と独自の路線を打ち出してきたヒマラヤの小国、ブータンの有機農業の行方が気になるところである。

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ブータンの社会見学施設

ティンプー Thimphu
National Soil Service Center (NSSC)
Soil and Plant Analitical Laboratory (SPAL) 実験施設を案内してもらう
National Biodiversity Center (NBC) ジーンバンクと植物園が見どころ


National Organic Program (NOP) 移転したばかりでこじんまりしてました・・・
Council for RNR Research of Bhutan (CORRB) パンフレットいっぱいくれました
JICA事務所
タキン動物園

ウォンディ Wangdi Phodang
College of Natural Resource (CNR) 3週間ほど滞在
Totokga organic farm ブータンのオーガニック運動をリードする民間企業
ブータン産鶏の原種復活プロジェクト見学


プナハ・ゾン(城)
サンデーマーケット
チミラカン
タロ



ブムタン Bhumthang
お祭り見学 ブムタン・セチュ
チーズ工場
ビール工場
ウゲン・ウォンチュク森林研究所

モンガル Mongar
RNR RDC Whenkar  温帯圏の研究所
RNR RDC Limithang 亜熱帯圏の研究所


サムドラップジョンカル Samdrup Jongkhar

30の村を訪問、10以上の村でホームステイ
Food Corporation of Bhutan (FCB)
オークションヤード
Deothang Milk Marketing Group (DMMG)
Fishery center 稚魚を配っている機関



ゲレフ Gueleph

RNR-RC Gueleph  養豚施設見学


ゲレフ温泉




農業関連に偏ってますが、見どころがあり、とても面白かったです。
ブータンの社会見学施設としてリーフレットにまとめられたらなぁと思います。



いよいよ日本帰国予定

日本を離れて2年。
ブータン生活も5カ月。

今月末、ネパールにトランジットして帰国予定。
ほんとに濃い、濃い、2年間でした。

2年前の夏、2週間ドイツでバイオダイナミックの研修。
オランダに渡ること1年。

マスター2年目の去年夏、卒論課題と称して4カ月インドへ。
インドの環境系NGOで有機農業の環境影響についてデータ分析。

修論提出後、ブータンに渡ブー?すること5カ月。
約30の村を訪問、ホームステイならぬ遊牧民生活。
忘れられない出会いがあった。

日本社会ではこれほど人と深く関わることがなかったので、
なんだか、ある意味、インドとブータンが人生観を変えた気がする。

オフィスでは業務に必要以上の会話をすることはなかった。
表面上笑ってかわして心の底から語り合うことはなかった。

この2年は、子供のように本気で喧嘩し、本気で笑い、思いをぶつけられる友人ができた。
帰国してしまえば、遠くにいるそんな友人たちとはもう2度と会うことはないかもしれない。

友人は言った。
「ここで偶然にも君と出会ったのは、前世からの縁だと思う。そして縁があれば、またどこかで会えるんだと思う。それはまた次の来世かもしれないけれど。たとえこの世で会えなくても、歳をとってもきっと君を覚えている。」

なんだか切ないような、そんな「縁」をこれからも大切にしていければなぁと思う。


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ブータンの大学で学生体験

7月に1週間滞在したCNRにまた戻ってきた。
今回の滞在は2週間。

オランダ大学院での同窓生、シリンが講師として戻ってきていた。
ゲストハウスには、リヒテンシュタインからの英語講師、タイからの農業機械講師、協力隊の食品加工講師が滞在していた。他に、ブムタンから短期研究で赴任している研究者。

キッチンでは毎晩多国籍料理が披露された。
特に、食品加工のS氏とタイ人のB氏はかなりの年季の入りよう。
お豆腐をひよこ豆から作ったり、豚肉のピクルスやらスモークハムまで作ってしまうのだ。
この2人は本当にプロの料理人だと思う。

ゲスト講師として、Yushipangの研究者や農業機械の専門家などが臨時でやってくる。
私も研究の合間に、ゲスト講師のレクチャーに参加し、見分を深めることにした。
サムドゥプののんびりした生活にも飽きてきてたので、この生活は刺激的だった。

木の高さや幹の太さを計る実技、ブータンの伝統的な食品加工技術に関するプレゼン、ブータンの地形や文化に適した機械化とは何か、など、興味深いものがあった。


▲CNRの遠足


▲ゲストハウスの食堂は毎日多国籍料理

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サムドゥプからゲルフへの旅

ゲルフへの出発前夜、明日、70%の確率でストライキが予定されているとの一報が入る。

インド、アッサム州は未だに安定しない土地で、頻繁にストライキが起きる。
インドのストは当局の許可を得て公式に行われるのだが、日本のようにおとなしいものではなく、むしろ「暴動」のニュアンスに近い。
ストライキの日は国境封鎖、間違っても車を出そうものならボコボコに壊される覚悟でなければいけない。
なんでこんなことが権利として法で認められているのだろうか、、、?

夜10時、イミグレに電話を入れる。
「今のところ、明日のストライキの予定はない、一応明日の早朝4時以降に電話で確認してくれ」
と、警備員。

友人によると、10時以降にまだ確定がとれてなければ、70%の確率でストライキはないであろうとのこと。
さっきまで7割の確率でストだって言ってたけど??・・なんていいつつ、早朝出発に備え、11時に就寝。



早朝、本日のストの予定はない、と確定。

国境ゲートには多くの列。2003年のゲリラ掃討作戦以来、インド国境を越えるにはインド軍による護送エントリーの手続きが必要となり、Samdrup Jongkhar市内から約50キロは軍による護衛がつくことになっている。


ゲルフへの相乗りタクシーは1台もなく、バスで行くことに。
朝7時。護送車を先頭にPhuntsholing行きのばすとGelph行きのバスは共に出発。

バス内では、日本人が珍しいのか、多くの乗客が何やら噂しているのが聞こえる。


「ねぇ、彼女バス代払ってないんだけど、英語でなんて言えばいい?」
「君、学校いってたろ?英語わからないのか?」
「英語、得意じゃないんだよなー」

なんてな、会話してるもんで、

Atta, Guelph ga shekpa, tiru haptur diwa ya? (お兄さん、ゲルフまでいくら?)

ってSharchopkha(東ブータンの方言)で話しかけると、バスのお兄さんがぽかーんとしてて笑えた。
4か月もいれば、だいたいの言葉は覚えるものである。

アッサムからゲルフに向かうには別の護送車を待つ必要があり、一時間の休憩。
sharchopkhaを話す変な日本人がいると、いろんな人が話しかけてきた。

乗客の2人は、実は以前に会っていたことが判明。
ゲルフの家畜保健所のスタッフで、CNRでトレーニングを受けていた時にランチを一緒に食べに行ったのを思い出した。

車窓の風景で印象に残ったのは、ブータンのバスが通るのを待ち構えるように、こどもたちが駆けつける様子だった。
ブータン人は窓からお菓子やコインを子供に放り投げる習慣があるので、子供たちはブータンのバスが通る時間になると、それを期待して待機しているのだった。
しかし、みけが放り投げたパンケーキは水たまりに落ちてしまったのだった。。。
ビニールに入っていたけれど、子供たちは食べれたのだろうか・・・?




アッサム州の休憩所で食べたおまんじう

彼らのおかげで、10時間に及ぶ護送地帯の旅を楽しむことができたのだった。
タクシーでなく、バスにした甲斐があったものである。

つづく。

廃村の危機にあるMorong村の戦い

Morong村のDechen家についたのは夕方の5時だった。
案内されたトイレは、トウモロコシ畑の中にあった。これは、夜には行けない・・・

家の玄関にはロープ。
これ、何をするのかというと、このロープはトウモロコシ畑に立てられた竹竿につながっている。
夜、1時間毎に起きてロープを引き、音をたてることで野生動物からトウモロコシを守るのだ。

玄関を含め、部屋は3室。
1室はキッチンだ。ご飯は薪と竈で炊いている。
息子のDorji君が採れたてのトウモロコシを焼いてくれる。
例にもれず、バンチャン(地酒)がでてくる、でてくる。

7時には日も落ち、真っ暗になった。電気はない。
ブータン滞在もあと少し・・・と真っ暗な夜空に浮かぶ満点の星を眺めていると・・・

「うほほほほーーーい!!うほおーおおお!!!!」
と、何とも言えない雄たけび声が!
獣を追っ払うためなのだとか。
あのおとなしいDorji君がこんな大声を出せるとは!

夕方にみた竹竿が遠くの方で鳴っているのが聞こえる。
ロープは全部で3本ある。
交代でこれを1時間毎に鳴らすのだ。
寝れたものではない。

この生活は、トウモロコシの収穫まで2か月続くという。
で、竹竿の効果のほどを聞いてみると、

「50%がいのししに食べられている。竹竿がなければ全滅しているだろう」
とのこと・・・。

2か月間寝ることなくいのししと戦い、得られるとうもろこしは半分・・・
なるほど。田舎の生活は厳しい。離れるわけである。

あさ、お粥を炊いてくれたDorji君。
幸せとは何か?聞いてみると、仕事をしていることが幸せなのだとか。
そんな彼はまだ16歳。
Morong村、野菜組合の次期リーダーは彼かもしれない。

最後の農村調査

いよいよブータンでの調査も終盤を迎えることとなった。
5月半ばに訪れたOrongの村を2カ月半ぶりに再訪。
まだ小さかったとうもろこしがすでに収穫され、2期目が始まっていた。

Woolingは織物の産地として栄えた町で、多くの女性が今も手織りのキラやショールをティンプーに卸している。
外国人が農家の家に滞在していると聞き、どこからともなく大勢の人たちがやってきて、荷物を広げ始めた。いろとりどりのキラ。昔ながらの鮮やかなデザイン。
「仲買人がティンプーに持って行けば3倍の値段はする。」
何だか雰囲気に乗せられ、ついついたくさん買ってしまった。
deothangやbantarに滞在していたころは者売りなんて来なかったので、いつもながらwoolingの人たちの商魂たくましさには驚かされる。


次に訪問したのはMorong村。
ほとんどの住人が村を離れ、現在は数軒の家族が暮らすのみであるMorongは廃村の危機にある。
Morongで野菜協同組合を立ち上げたjamchu dorji氏によると、「他の地区に比べ標高が高いこの村では、食物の保存がきき、病害虫も少ないため、野菜の生産・出荷に適している」という。

「多くの家族がよりよい生活を求めて村を離れてしまった。でも、農業で食べていけるようになれば、戻ってくるのではないか。」
彼は、村の人たちを説得し、村をまわっては野菜を買い集め、トラックを調達してマーケット開発を始めた。最初は耳を傾けなかった人たちも、今では彼を頼り、野菜の出荷を始めた。

「今の目標は、ビニールハウスを作り、冬でも野菜を出荷できるようにすること」と、今後の夢を笑顔で語ってくれた。

プロフィール

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「アグロエコロジー」続編:
http://agro-ecology.blogspot.jp/

たねのもりびと

ワーゲニンゲン大学大学院
有機農業研究科修了
(アグロエコロジー専攻)
Wageningen University
MSc of Organic Agriculture

ブータン政府GNH委員会インターン
国を100%オーガニックにする国家プロジェクトに従事

■ご挨拶
ご挨拶


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