アグロエコロジー
インド農村滞在記
ココナツのはっぱでできたおうちがかわいい☆
バンガロールから車で5時間。
そこには、ぜんぜん違う景色がひろがっていた。
アルカという実(中毒性がある)は高値で売れる、この村の主力作物。
女性の自助グループが所得創出事業の一環で加工を行っている。
インドのスーパーバイザーは私が動き回ることをあまりよく思っていないみたいだ。
でも、オフィスでデータとってるだけじゃ何のためにインドに来たのかわからない。
だから、ここにいるうちにできるだけいろんなことを知りたい!見てまわりたい!
いま働いてる研究所はあまり協力的でないので、いくつか他のNGOに連絡をとった。
今週は別のオーガニックファーム2つ、来週は農業組合を訪問する予定。通訳も手配してもらった。
その分、毎日事務所から帰ってきてからも夜中までデータ解析やっている。
昨日は2時過ぎだった・・・vV
そして週末の予定は個人的に手配した農地訪問で全部埋まっている。
でも、もうあと1ヶ月しかない。
動ける時間が少なすぎる。。
インドでボランティア
インドでボランティア名目でお金を取っている企業があるみたいですが、本当にボランティアしたい人は、企業に払うのではなく、現地の人に寄付して欲しいと思います。
だいたいボランティア参加者は1日3食付で参加費は宿泊費無料か、寄付式のところが多いです。
現地の人は1万円あれば1ヶ月は暮らせる費用です。数十万するプログラムもたまにあったりしてびっくりします。
本当に大金です。そのお金が地元の人に渡っているのか本当に謎です。
よく考えてもらいたいです。
■おすすめサイト
悪徳業者のことについて詳しく書かれていて参考になります。
海外ボランティア、短期留学しようと思われる方はぜひ一読をおすすめ!
海外移住情報
http://www.interq.or.jp/tokyo/ystation/inter1.html
スラムの祭に参加してみた。
ガネーシャが帰る日。
スラムはお祭り騒ぎだった。
隅からのぞいていると、ボスらしき人からお呼びがかかった。
「ちょっとこい。」と手招き。
それは、この辺をとりしきる女ボスだった。
流暢な英語でスラムの奥へと案内される。
ちょいとどきどきしながらついていってみると・・・。
トタンパネルをおいただけの玄関をくぐった先には、ジーザスの絵がどーんと壁に画かれている。
この土地は、彼女の個人資産。
スラムの住人に開放し、現在40名のホームレスたちがこの空き地で暮らしている。
女ボスは彼らを兄弟、家族と呼んでいる。
私の持ち物をみては、逐一「これはいくらだ?」と聞いてくるので最初ちょっと怖かったけど(売られるかも?と思った・・vV)、いい人みたいだった。
話をしてみると教養があるのが伝わってくる。身なりも、他の人よりいい気がする。そしてまだ若い。
なんでこんなことをしているのだろうか?すごく個性的で不思議な人だ。
今日はガネーシャが帰る日。
日が暮れると共に、お祭り騒ぎはヒートアップ。
どこからともなく無数の人が押し寄せ、爆竹、打ち上げ花火、ドラム隊・・・。
話ができないほどのにぎやかさ。
ビルとビルの間で打ち上げ花火なんてかなり無茶だ。
ここは危ないからと、ボスに連れられ、ビルの屋上に上る。
廃棄物の山からビルの非常階段までジャンプさせられた。(そっちの方が危険だった笑。。)
この祭り騒ぎは深夜まで続くのだった・・・。
ゾウからの逃げ方
ケララでストライキに遭遇(4)
水曜朝。
ダニアの近くの街に戻る。
村では目が見えなくても平気だけど、バンガロールで視力がないのはかなり不安だ。
2日ぶりの再会。
「両親に一晩中怒られたよ。何で行かせたんだって。お母さん、みけが戻ってくるものだと思ってタピオカいっぱい作って待ってたの。村人たちもすごく残念がってた。」
あぁ、村の人は何て暖かいんだろう。
バンガロールとはぜんぜん違う。
農業を勉強しにきたのに農家のいないバンガロール。
ホストファミリーともあまり会話はない。
毎日オフィスに通い、データ処理。
データ処理なら村でもできるんじゃないか。
そして何より、村にいるほうが学ぶことが大きい。
なんでバンガロールにいるんだろう・・・そんな気持ちになった。
別れ。
「今度は政府バスだからきっと大丈夫!」とダニア。
2時半。乗るはずだった政府バスにのる。
平和に時が過ぎていく。
はずだったーーー。
が、
午後8時。車内の電気が落ち、うとうとし始めたころ。
大きな音がして、またもやバスは道の真ん中で停車。
乗客たちが身を乗り出し外の様子を確認している。
今度は何だ??誰かひいちゃったか?
どうやら、窓ガラスが割られたようだ。
乗客たちが犯人を取り押さえ、最寄のバス事務所へ連行。
多勢に無勢だ。
▲乗客に囲まれる犯人
1対大勢の罵声の浴びせあいはちょっと面白い。
まだストライキしたりないのか、むしゃくしゃしていたのかよくわからないが。。
警察が到着し、保障問題について話し合っている。
そんなこんなで、タイムロス1時間。
これは、インドのほんの日常だ。
気にしてはいけない。
思いがけず長旅をしてしまった。
インド滞在3週間目。私の旅は始まったばかりだ。
ケララでストライキに遭遇(3)
整備士は来なかった。
「みけ、僕らも出よう。道の真ん中にいたら危険だ」
ビジューは、近くの売店でオートリキシャを呼んでもらっていたのだった。
リキシャは山道をガンガン走る。
これで転がり落ちたり、変なところに連れて行かれても、携帯がスト中の私たちは助けを呼べない。
しかし、Don't worry!! といいながら、ビジュはドライバーの携帯を勝手に使いまくってる^^;
深夜0時半。
森の中にあるゲートに到着した。ビジュの友達、サントスの実家だ。
ダニアの田舎よりもさらに山奥だった。
ゲートから50メートルほど歩くと木の小屋が見えた。伝統的な部族建築だ。
夜遅く突然やってきた外人を一家で歓迎してくれた。
着替えもなにも持ってないみけに、服をかしてくれた。
火曜もバスはでない。
アグロフォレストリーを営む一家のところで2泊させてもらうことになった。
こうして、偶然にも滞在することになった山岳集落で2日間の探検が始まる。
「Well is Wealth (井戸は富の源なんだ)」
あさ、おきるとサントスが井戸水を汲んでいた。
改めてみるとすごいところだ。
トイレに向かう道
夜一人で通るのは心もとない。
同じ年頃のマリカは、植物学を勉強し、今は教師になるための試験を受けている。
マリカが村を案内してくれた。
パイナップル農園
ここは、ゴムの木のオーナーが3,4年の期限付きでパイナップル農家に土地を貸し出している。
サントーシがココナッツをとってきてくれた。
コルカタ。
ココナツのシロップが入った飲茶のような感じ。
とんぼがオーナムの季節を告げる。
常夏の熱帯にも四季がちゃんとあるのだ。
2日目は、荷物を置いてきたのでコンタクトが切れ、ほとんど何も見えなくなった。
でも、目で見るものよりも、風や自然の声、肌で感じるものの方がよっぽど大きかった。
ケララでストライキに遭遇(2)
「私はプライベートバスは嫌い。遠回りするし、無駄に休憩するし、そのくせ高いから。政府のバスが一番。」
と、ダニア。
何やら日本とは反対の意見だな、と訝しく思っていると、3時半に出発するはずのバスが1時間たってもこない。
ダニア「ほらね、みけ。来なかったらどうせ金曜は祝日だから、今週ずっとケララにいたらいいよ。きっとタピオカを恋しいと思わなくなるかもよ。」
日中のケララは蒸し暑い。待ち飽きたときバスは来た。
倍払ってるんだけど、一体何のつもりなんだ・・・。
5時。出発。
席はガラガラだった。
デラックスカーは行きの政府バスと違い、ゆったりした座席に毛布がついていた。
エアコンが寒いくらいに効いている。
朝、村を出てからずっと外にいたので2列シートを1人で使って横になった。
何やらずっとバスが停車していることに気付き目を覚ました。
乗客がまばらな座席を行ったり来たりしている。
休憩・・・でもなさそうだ。誰かひいちゃったのだろうか?
確認のため外に出る。
「エンジンが動かなくなった。今整備士を呼んでいる。」
と運転手。
時は、夜10時だった。
あと2時間でストライキが始まる。
タクシーも店もなくなる。
さらには、みけの携帯も、ビジューの携帯もバッテリーが切れてしまった。
連絡もとれない。
ビジュー「ストライキはもう始まっているのかもな笑」
みけ「うん。バスも携帯もスト中なんだよ笑」
こうなりゃもう笑うしかない。
「とりあえず、腹ごなししよう」
居合わせた乗客たちと屋台に向かう。
どこからきたんだ?と語り合う。同じ船に乗り合わせた者同士の団欒。
一人、二人、と、同じ船の乗客たちは村に戻る決断をし、消えていった。
ケララでストライキに遭遇(1)
「月曜の深夜0時から24時間のストライキが始まる。」
との情報が入ったのは日曜の午後。
インドのストライキは全国一斉に始まり、野党が主導する。
日本のようなただのストライキでなく、投石や暴動が起こるのが毎度のことらしい。
与党コングレスに対し、ケララは共産党の本拠地。
暴動にもかなり気合が入るのだそうだ。
バンガロールに戻る夜行バスは1日1本、午後2時半発。
バンガロールに着くのは午前6時。深夜にはタミル・ナドゥに入っているはず。
暴動はケララほどひどくないらしいけどかなり微妙な判断だ。
月曜朝、予約していたバスは危険回避のためキャンセルになったと知る。
これでは火曜もバスがでないので、バンガロールに着くのは木曜。
金曜が祝日だから、この1週間何も仕事ができないことになる。
予約を取り直すために街にでると、同じくバンガロールからきたビジューからプライベートバスなら確保できると聞く。
チケット代は2倍の料金だ。
そして、最大の問題は、予約を取り直すだけだと思って荷物をダニアの家に置いてきたのだった。
ダニアの村までは2時間。戻っている時間はない。
ぎりぎりの選択肢の中、荷物はダニアが戻ってくるときに持ってきてもらうことにした。
ダニア「荷物、本当にいいの?大事なもの入ってない?」
みけ「あ、ひとつ。タピオカ弁当が入ってる!あぁ残念!お母さんのタピオカ料理、ディナーにしようと思ったのに!」
緊張した状況に笑いが起こる。
ケララへの旅
研究所で知り合った博士課程のダニアが故郷のケララに里帰りするというので連れて行ってもらうことになった。
ケララといえば、バックウォーター、海岸、シーフード料理。
バンガロールからタミル・ナドゥを通り、ケララに入ると空気が変わる。暖かい風が南国の匂いを届ける。
そしてケララは雨季が年間8ヶ月に及ぶ雨の地。
バックウォーターどころか、スプラッシュ・フロントだった・・。
ケララは海岸部と山岳部に分かれる。
漁、ココナツ、田んぼが中心の海岸部。
そして、生物多様性の宝庫、西ガート山脈に囲まれた山岳部。
ダニアの村は山岳部にあり、アグロフォレストリーが生活の中心だ。
ココナツ、バナナ、ゴム、ティーク、香辛料・・
昔ながらの棚田はこうした換金作物に置き換わり、収益の低い米は隣のタミルナドゥからの輸入に頼っているのだという。
乾燥地帯のカルナータカ州に比べるとケララはフルーツや野菜、魚介類、香辛料がいつでも豊富に手に入るため、食事も豊かだ。
ダニアの家にはひっきりなしに来訪者が訪れる。
近所の人たちは自分の家のようにくつろぎ、ご飯を食べて帰る。
近所を散歩していると、「ジャパン!ヒロシマ、ナガサキ!スズキ!テクノロジーナンバーワン!」
なんとかコミュニケーションをとろうとしてくれる。
そして、とりあえずお茶をのんでけ。と声がかかるのだった。
こうして、週末の1日が平和にすぎた。
インドでホームステイ
インドでホームステイをするには、PG(Paying Guest)というシステムがあります。
有償ホームステイという意味で、PGというと大体通じます。
月約5000円で食事付きです。
私のステイ先は古典的なインド家庭で、お母さんはほとんど家でお留守番。
ドアに鍵がかかっているのでノックすると必ずお母さんがドアの前にいてあけてくれるのです。
お母さんの食事はゲスト、お父さん、娘が食べ終わった後です。
一番に起き、一番最後に寝るお母さんがキッチンから離れたところを見たことがありません。
なんだか気の毒ですが、お腹がすいてないから大丈夫だといいます。
一人娘のスミタは銀行員。
「インド社会は変わってきているから、今は女性も外に出るのよ」
と言っていました。
伝統衣装チュリダを着てバイクで通勤する彼女。かっこいいです。
プロフィール
「アグロエコロジー」続編:
http://agro-ecology.blogspot.jp/
たねのもりびと
ワーゲニンゲン大学大学院
有機農業研究科修了
(アグロエコロジー専攻)
Wageningen University
MSc of Organic Agriculture
ブータン政府GNH委員会インターン
国を100%オーガニックにする国家プロジェクトに従事
■ご挨拶
ご挨拶
■連絡先
メールフォーム
当サイトはリンクフリーです。