アグロエコロジー
【募集】インド有機農業視察
インド人のホスピタリティはすごい!
ホスピタリティといえばタイとかインドネシアのイメージだったが、正直インド人にそれは期待していなかった。
インドに来る前、インド人のクラスメートからもらったアドバイス。
Don't believe Indian, don't be polite to Indian.(インド人を信じるべからず、インド人に礼儀はいらない。)
インド人の彼でさえ、隣の州にいけば言葉も身なりも違うヨソもの。
「インド人のぼくでさえ詐欺師が近づいてくる、隙があればだまされる。だから外国人はさらに注意すべきだ。」
と、言っていた。
しかし実際来てみると、たくさんのインド人たちから思いがけず歓待を受けた。
インドではお客様は神様だという。
食事、観光、お土産までおもてなしをしてもらい、お金を使うことがなかった。
ストライキで突然迷い込んだ森の村でも、これでもかとばかりのホスピタリティだった。
インド人の友達のお母さんは、買い物のついでに私の分まで服を買ってきてくれる。
森に住んでる一家も、ビルの清掃しているお母さんも、決して豊かなわけでないのに。
バックパッカーしてた時は、こういうことがあまりなかったから親切にされるとつい警戒してしまう。
そして、なんだかかえってすごく悪いことした気分になるのだった。
外国を旅するときは慎重になるにこしたことはないが、心を開いてつきあってみないと本当のところはわからないかもしれない。
これは、現地語を学び、ホームステイをしながらじっくりインド人付き合うのと、バックパッカーで放浪することの差だと思う。
バックパッカーがよくないというつもりはないが、最近は旅にあまり興味がなくなってしまった。
タージマハルとか正直どうでもいい。
世界遺産やらバラナシに行くよりも、何もない村がすきなのだ。素顔のインド人が好きなのだ。
来月にはオランダに戻らないといけないけど、インドにはまた来る気がする。
インド人の離婚
バンガロールの離婚件数は年々増え続けている。
2003年の離婚訴訟は300件。2004年には1200件となり、2008年は4,000件と4年で約3倍になっている。
頭を抱えるのは法廷。
これまであまり離婚事例がなかったインド。
法廷が扱える件数は1日30件。
約1万件の訴えが係争中であると推定されている。
離婚が成立するまでに4,5年の年月がかかるのだという。
離婚をめぐる殺人事件も起きている。
先月、妻の殺人容疑で男が逮捕された。
夫が離婚を切り出したところ、妻がダウリ・ハラスメントで訴えてやると脅したためだという。
結婚式に一生分の財産をつぎこむというインド人。
離婚にはさらに大きな英断が必要かもしれない。
インド人の結婚
ケララ人によると、半数がお見合い、恋愛結婚は半分くらいじゃないかとのこと。
恋愛は周囲に隠れてするものだ。
そして、恋愛結婚であっても正式には仲介人を立て、お見合い結婚の形をとることも多い。
特に田舎ではこの傾向に強い。
お見合いで大事なのはカーストが同じであること。
同じ村に候補者がいないときは仲介人を通す。仲介人は相手のカーストを知っているのだ。
それでもだめなら、新聞に広告をだす。
インド人は、訃報を知らせるときにも顔写真付で新聞に載せるほどなのでプライバシー観念はない。
最近はオンライン(いわゆる出会い系サイト)でお見合いすることも増えているそうだ。
ここで、日本にも面白い事例があることを紹介しておいた。
自治体が主催するお見合いパーティー。畑で婚カツ。これはインド人に大うけだった。
「日本政府は結婚を推進したいのだろうけど、インドでは逆に減らしたいでしょうよ。
女性は特にお金かかるから政府が援助してくれるとありがたいのだけど・・・」
まず、仲介人から紹介されたら両者が会う。ここで気に入らないなら断ってOK。
同意すればengagement。この後に断ることはできない。
伝統的な慣習の残る村では、婚約には占い師の診断が必要とされている。
いくら2人の気があっても、占い師がよくないと判断すればご破談になるのだ。
カーストと相性占い、両親の好み、すべてマッチして初めて結婚となる。
日本の婚カツよりも難しそうだ。
結婚式は人生最大のイベントであり、約1000人招待することは普通。
村挙げてのお祭だ。
日本のように来訪者が祝い金を持参することはなく、千名分の食事などにかかる費用はすべて花嫁もちだ。
「お父さん、外国人でもいいからうちの娘連れて行ってくれないかって言うのよ。」
と、インド人の同僚が言っていた。
娘の多い家庭はダウリ(持参金)に悩まされるのだった。
竹の花
竹の花を見たことがあるでしょうか。
もしあるとすればそれは貴重な体験。
竹のライフサイクルは50年~60年と長い。
花が咲いた年にはまるこごと竹林が枯れるという。
竹は半世紀に一度生まれ変わるのだ。
この話は、京都の竹工芸家から聞き、とても興味を持っていた。
花が咲いたあと、枯れた竹には珍しいシミ模様ができ、「シュミ竹」と呼ばれている。
この珍しい竹は高値で取引されるのだという。
ケララ州の伝承によると、竹の花が咲くと飢饉がやってくるといわれている。
竹の花は、洪水を呼ぶ不吉なサインなのだ。
バンガロールのエコ研究所には竹に関する本がたくさん並んでいる。
竹は建設材や家具、工芸品として使われる重要な産業であり、そして、インド人も竹の子食べるんですね。
Instutute of wood science and technologyの実験施設を見学させてもらった。
ここでは接木に関する研究も盛んに行われている。
日本では竹なんてわざわざ増やさなくても・・・って感じがするのだけど、いろんな種類の竹があって面白い。
いま開設準備中の研究所の木材ミュージアムには、木の見分け方が解説されている。
ゾウからの逃げ方
依存関係にあるケララとタミル
ケララではだいたい月給2万ルピーほどだが、タミルでは1~4千ルピーくらいだという。
隣り合う州でこれほどの格差がみられるのはなぜか。
ひとつはケララは気候に恵まれているということ。
雨の豊富なケララは水に困らない。水は貴重な財産だ。
そしてもうひとつは州の政策の違い。
インド初の共産党州。インフラ整備、教育に力を入れており、識字率はほぼ100%。
人間開発指数は北欧と引けをとらないのだとか。
街を歩いていても、ぐったりした野良犬はいない。
物乞いも見当たらない。
人も犬も元気だ。
高学歴社会のケララでは、農業に興味を持つ人は少なく、ホワイトカラーの仕事が好まれる。
昔あった田畑は、収益がより高く、労力をかけずとも育つティークやゴムのプランテーションに置き換えられた。
そして、毎日必要な米はタミルからの輸入に頼っている。
乾燥地帯のタミルは灌漑用水をケララに依存している。
イギリス植民地時代、ケララの水をタミルが利用しその代わり米を提供する契約を締結。
資本集約産業の中心はケララ、そして労力のかかる仕事はタミルからの出稼ぎ労働者が請け負うのだ。
同じ国内で分業が起こっている。生産優位の法則が隣り合う州でこうもはっきりみられるのは面白い。
ブローカーの派遣会社はタミルの労働者を商品として扱う。
出稼ぎ労働者は組織力が弱く、地元の労働者よりも扱いやすいため好まれる。
夫は土木工事、妻と子はレンガ工場など、家族で出稼ぎする例も見られる。
たいがいブローカーは家族をバラバラに連れて行く。
連絡の取れない家族。逃げたくても逃げられない状況。
女性は雇い主からのセクハラにさらされているのだという。
「ここは昔、棚田だったの。今はゴムとティークになってしまっているけど。私は元の状態に戻したい。」
とダニア。
資源豊かなケララでは生物の多様性に対する価値の意識が薄い。
しかし、もしタミルが米を提供できなくなったら・・・?
ゴムの価格破壊が起こったら・・?
彼女は研究者として、食の安全を保障する多様化をバンガロールから故郷のケララに提起しているのだった。
ケララでストライキに遭遇(4)
水曜朝。
ダニアの近くの街に戻る。
村では目が見えなくても平気だけど、バンガロールで視力がないのはかなり不安だ。
2日ぶりの再会。
「両親に一晩中怒られたよ。何で行かせたんだって。お母さん、みけが戻ってくるものだと思ってタピオカいっぱい作って待ってたの。村人たちもすごく残念がってた。」
あぁ、村の人は何て暖かいんだろう。
バンガロールとはぜんぜん違う。
農業を勉強しにきたのに農家のいないバンガロール。
ホストファミリーともあまり会話はない。
毎日オフィスに通い、データ処理。
データ処理なら村でもできるんじゃないか。
そして何より、村にいるほうが学ぶことが大きい。
なんでバンガロールにいるんだろう・・・そんな気持ちになった。
別れ。
「今度は政府バスだからきっと大丈夫!」とダニア。
2時半。乗るはずだった政府バスにのる。
平和に時が過ぎていく。
はずだったーーー。
が、
午後8時。車内の電気が落ち、うとうとし始めたころ。
大きな音がして、またもやバスは道の真ん中で停車。
乗客たちが身を乗り出し外の様子を確認している。
今度は何だ??誰かひいちゃったか?
どうやら、窓ガラスが割られたようだ。
乗客たちが犯人を取り押さえ、最寄のバス事務所へ連行。
多勢に無勢だ。
▲乗客に囲まれる犯人
1対大勢の罵声の浴びせあいはちょっと面白い。
まだストライキしたりないのか、むしゃくしゃしていたのかよくわからないが。。
警察が到着し、保障問題について話し合っている。
そんなこんなで、タイムロス1時間。
これは、インドのほんの日常だ。
気にしてはいけない。
思いがけず長旅をしてしまった。
インド滞在3週間目。私の旅は始まったばかりだ。
ケララでストライキに遭遇(3)
整備士は来なかった。
「みけ、僕らも出よう。道の真ん中にいたら危険だ」
ビジューは、近くの売店でオートリキシャを呼んでもらっていたのだった。
リキシャは山道をガンガン走る。
これで転がり落ちたり、変なところに連れて行かれても、携帯がスト中の私たちは助けを呼べない。
しかし、Don't worry!! といいながら、ビジュはドライバーの携帯を勝手に使いまくってる^^;
深夜0時半。
森の中にあるゲートに到着した。ビジュの友達、サントスの実家だ。
ダニアの田舎よりもさらに山奥だった。
ゲートから50メートルほど歩くと木の小屋が見えた。伝統的な部族建築だ。
夜遅く突然やってきた外人を一家で歓迎してくれた。
着替えもなにも持ってないみけに、服をかしてくれた。
火曜もバスはでない。
アグロフォレストリーを営む一家のところで2泊させてもらうことになった。
こうして、偶然にも滞在することになった山岳集落で2日間の探検が始まる。
「Well is Wealth (井戸は富の源なんだ)」
あさ、おきるとサントスが井戸水を汲んでいた。
改めてみるとすごいところだ。
トイレに向かう道
夜一人で通るのは心もとない。
同じ年頃のマリカは、植物学を勉強し、今は教師になるための試験を受けている。
マリカが村を案内してくれた。
パイナップル農園
ここは、ゴムの木のオーナーが3,4年の期限付きでパイナップル農家に土地を貸し出している。
サントーシがココナッツをとってきてくれた。
コルカタ。
ココナツのシロップが入った飲茶のような感じ。
とんぼがオーナムの季節を告げる。
常夏の熱帯にも四季がちゃんとあるのだ。
2日目は、荷物を置いてきたのでコンタクトが切れ、ほとんど何も見えなくなった。
でも、目で見るものよりも、風や自然の声、肌で感じるものの方がよっぽど大きかった。
ケララでストライキに遭遇(2)
「私はプライベートバスは嫌い。遠回りするし、無駄に休憩するし、そのくせ高いから。政府のバスが一番。」
と、ダニア。
何やら日本とは反対の意見だな、と訝しく思っていると、3時半に出発するはずのバスが1時間たってもこない。
ダニア「ほらね、みけ。来なかったらどうせ金曜は祝日だから、今週ずっとケララにいたらいいよ。きっとタピオカを恋しいと思わなくなるかもよ。」
日中のケララは蒸し暑い。待ち飽きたときバスは来た。
倍払ってるんだけど、一体何のつもりなんだ・・・。
5時。出発。
席はガラガラだった。
デラックスカーは行きの政府バスと違い、ゆったりした座席に毛布がついていた。
エアコンが寒いくらいに効いている。
朝、村を出てからずっと外にいたので2列シートを1人で使って横になった。
何やらずっとバスが停車していることに気付き目を覚ました。
乗客がまばらな座席を行ったり来たりしている。
休憩・・・でもなさそうだ。誰かひいちゃったのだろうか?
確認のため外に出る。
「エンジンが動かなくなった。今整備士を呼んでいる。」
と運転手。
時は、夜10時だった。
あと2時間でストライキが始まる。
タクシーも店もなくなる。
さらには、みけの携帯も、ビジューの携帯もバッテリーが切れてしまった。
連絡もとれない。
ビジュー「ストライキはもう始まっているのかもな笑」
みけ「うん。バスも携帯もスト中なんだよ笑」
こうなりゃもう笑うしかない。
「とりあえず、腹ごなししよう」
居合わせた乗客たちと屋台に向かう。
どこからきたんだ?と語り合う。同じ船に乗り合わせた者同士の団欒。
一人、二人、と、同じ船の乗客たちは村に戻る決断をし、消えていった。
プロフィール
「アグロエコロジー」続編:
http://agro-ecology.blogspot.jp/
たねのもりびと
ワーゲニンゲン大学大学院
有機農業研究科修了
(アグロエコロジー専攻)
Wageningen University
MSc of Organic Agriculture
ブータン政府GNH委員会インターン
国を100%オーガニックにする国家プロジェクトに従事
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